« Twitterはじめました | ホーム | AISAS »

2009年8月 3日

葬式は、残されたもののためにある。

こういう話はよくいう話。

たしか、学問的にも葬式はそういう説になっている。

であるなら、この話をスケールダウンしていったら、このようなことは日常的に起こっていないか?と思った。

というのは、たとえばある人のために行う行事があるとする。

わかりやすいところでいえば誕生日会だったり歓迎会だったりするかもしれない。

このような場合には、確かに、葬式とは違い、人のために直接なっている。

だから、一般的な日常の常識としては、人のためなのだが、結局のところ、めぐりめぐって自分たちのためなのではないのか?

だから、回りまわってそれをやらないことのリスクは結局のところ自分に回ってくるのだ。

自分の首を絞めるのだ。

これは、組織を形成するすべてのところで言える話である。

コメントする

月別 アーカイブ

このブログ記事について

このページは、マス風が2009年8月 3日 00:41に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「Twitterはじめました」です。

次のブログ記事は「AISAS」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。