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2022年5月20日

[2484] 心と言葉を一致させる作業

寡黙なことをよしとしてきたが最近そうでもなくなってきた。

今まで言葉にしてこなかった人間が言葉を使い始めると、

言葉の意味が絶妙に違ってきたり、

意味合いを間違えて使っていることがあるような気がする。

しかし何よりも問題なのが、

喋る内容が出てこないということである。

これについて考えることがあった。

何事も、表現するのに時間が掛かっている性質がある。

メールを一つ打つのにも時間がかかるタチである。

一体なにをしているのだ!?

あっているか、誤植はないか、

そんなことの確認はもちろんしてるんだろうが、

たぶん、カッコつけてんじゃないか。

そう気づいたのである。

自分からアウトプットする言葉を作ってきたのである。

創作するには良いことだと思う。

ただそれ、本当の自分の言葉なのかって言われたら、

だんだん違ってきているんだろうと思う。

それは文書作っているときと、会話している時の自分が違うからだ。

それは性質的なことかもしれない。

喋りができる人と、そうでない人。

感じたことのアウトプットは素直に早めにしたほうがいいと言われたことがあった。

自分で感じたことを、湾曲したり、加工することせずに、素直にアウトプットする。

これは実はいままで出来てなかったことなのかもしれない。

つまりは全てが逆で動いていた。

つまり、綺麗事しか言わなかった人間だったのである。

もし、違和感をもった、疑問に思った、違うと思った、

そのような感覚的なことがあればアウトプットしたい。

しかし、その場その場の変なフィルターを掛けてたのは自分ではないかと最近感じ始めた。

自分は、本当は嫌だった。

自分の感じていることはものすごく幼稚なことである気がしたからだ。

だから、一度、踏みとどまり、加工して発していたきらいがあった。

これを続けると、自分の感覚がにぶくなってくるのがわかってきた。


最近、立場も役割も変わることが多くなった。

綺麗事は必要ないのである。

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このページは、マス風が2022年5月20日 22:56に書いたブログ記事です。

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